昔、月382時間働いたことがある。
家に帰る時間がなく、現場近くのラブホテル街にある1Rを借りて、そこでシャワーを浴びて数時間寝る。
たまに家へ帰るときは、同じ現場のメンバーとタクシーを相乗りしすぎて、運転手に道順を覚えられていた。
しかも1日5時間くらい「休憩」が勝手に引かれて、それでも勤務時間は382時間だった。
今ならかなり問題になりそうだが、当時のIT業界では、こういう現場が普通にあった。
今日は、そんなITドカタ時代の話と、なぜ自分が「労働収入一本足で生きるのは危ない」と思うようになったのかを書いてみる。
月382時間勤務は、もはや“仕事”ではなく“常駐”だった
月382時間といっても、普通はあまりピンと来ないと思う。
ただ、この頃は土日も出勤だったので、「月20営業日で割ると1日19時間超」といった話でもない。
それでも、382時間という数字は十分に異常だ。
平日も土日も現場に出続け、気がつけば生活のほとんどが仕事に飲み込まれていた。
もはや「仕事をして家に帰る」という生活ではなかった。
生活の中心が仕事になるというより、生活そのものが仕事に侵食されていた。
当時の自分にとって、自宅は帰る場所ではなく、たまに立ち寄る場所になっていた。
家に帰れないので、現場近くに“寝るためだけの部屋”を借りた
あの頃は、本当に家へ帰る時間がなかった。
なので現場の近くに、寝るためだけの1Rを借りていた。
場所はラブホテルとラブホテルの間。
もちろん色っぽい話ではなく、ただとてつもなく安く、かつ、職場から近かっただけである。
その部屋に求めていた機能は、生活ではない。
- 数時間だけ横になれる
- シャワーを浴びられる
- 朝また現場に戻れる
これだけだ。
今思えばかなり異常だが、当時は「まあ、そうでもしないと回らないよね」という空気だった。
タクシー運転手に覚えられる
たまに本宅へ帰る日はあった。
ただし終電で帰るような健全な話ではない。終電なんてとっくに消えている。
そういう日は、同じ現場のメンバーとタクシーを相乗りして帰る。
毎回だいたい同じ時間、同じメンバー、同じルート。
その結果、タクシーの運転手に道順を覚えられるようになった。
普通、顔を覚えられる相手といえば、行きつけの飲み屋の店員とかだろう。
でもあの頃の自分たちは、深夜のタクシー運転手に生活導線を把握されていた。
「休憩5時間」が引かれても、勤務時間は382時間だった
今でも意味がわからないのが、休憩時間の扱いだ。
当時は、1日に合計5時間くらいの休憩が設定されていて、その時間が勤務表から勝手に差し引かれていた。
17:00〜17:30、22:00〜22:30といった具合に、あらかじめ休憩時間が細かく決められていて、それを全部足すとだいたい5時間になる。
ただ、当然ながらその5時間をのんびり休めるわけではない。
実際にはその時間帯も普通に作業していたことがあるし、少なくとも「完全に仕事から離れられる休憩」ではなかった。
それでも勤務表の上では、休憩したことにされる。
そして、そんな5時間を毎日差し引かれても、勤務時間は月382時間だった。
つまり、実際に現場へ拘束されていた時間は、もっと長かったということだ。
昔のIT業界って本当にそんな感じだったのか、と聞かれれば、少なくとも一部の炎上案件や大規模案件では、こういう話は普通にあった。
18時に冷房が止まるので、夜の開発室はサウナだった
この案件で地味にきつかったのが空調だ。
オフィスの冷房が18時に止まる。
いや、18時に仕事が終わるならまだいい。だが実際は、18時なんて「今日もこれからですね」という時間帯でしかない。
そこから先、何百台ものPCと何百人もの人間がいる部屋で冷房だけが止まる。
当然、夜の開発室はサウナになる。
長時間労働だけでも十分きついのに、そこへ物理的な暑さまで加わる。
今思うと、あんな環境でよくまともに作業していたと思う。
レッドブルが1列から3列に増えた
現場の異常さを象徴するのが、1階の自販機のレッドブルだ。
最初は1列だけだったのに、みんながあまりにも買うので、いつの間にか3列に増えていた。
水でもお茶でもなく、レッドブルである。
つまりあの現場では、「喉が渇いたから飲み物を買う」のではなく、
“今日を乗り切るために翼を買う”人間が大量発生していたということだ。
たぶん補充業者も「このビル、なんでこんなにレッドブルだけ減るんだ」と思っていたはずだ。
大規模案件は、だいたいどこかがおかしい
この案件は500人超のプロジェクトだった。
世間的には「大規模案件」と聞くと立派に見えるかもしれない。
でも現場の末端にいると、人数が増えるほど責任の所在は曖昧になり、意思決定は遅くなり、しわ寄せだけが現場に来る。
- 誰が決めるのかわからない
- 決まるまで時間がかかる
- でも納期は動かない
- 手を動かす人間だけが疲弊する
こういう構図は珍しくない。
大規模案件が悪いというより、大規模であることを言い訳に、現場の無理が正当化されやすいのが問題だと思う。
「労働収入一本足」の危うさを教えてくれた話だった
若い頃は、「月382時間働いた」みたいな話をどこか武勇伝っぽく語っていた気がする。
でも今の自分からすると、あれは武勇伝ではない。
単に、自分の時間を切り売りする働き方に依存しすぎると、こうなるという実例だ。
働き方の形が何であれ、結局は自分が働き続けることでしかお金にならない状態だと、景気や案件や発注元の都合ひとつで生活は簡単に壊れる。
まともな環境ならいい。
でも一度おかしな案件やおかしな現場に入ると、立場がどうであれ、長時間労働と安い単価と納期優先のしわ寄せをまともに食らうことになる。
そして、そういうときに最後に削られるのは、だいたい自分の時間と体力だ。
だから自分は、労働収入一本足で生きるのが怖くなった。
自分が止まったら収入も止まる。現場から抜けられない限り、構造はなかなか変わらない。
そういう状態に依存しすぎるのは危ない、と強く思うようになった。
株や不動産は、別にこの時期をきっかけに始めたわけではない。
ただ、月382時間働いたあの頃を経て、「自分が働かなくても入ってくるお金」の価値は、嫌というほど実感した。
労働で稼ぐことと、資産からキャッシュフローを得ることは、似ているようでかなり違う。
その感覚がはっきりしたのは、たぶんこの時期だったと思う。
まとめ:昔の自分に言いたいのは、「資産を作れ」ということ
月382時間勤務。
家に帰れず、ラブホテル街の近くの1Rで寝る。
タクシー相乗りで帰宅し、運転手に道順を覚えられる。
冷房の止まった開発室で、レッドブルを飲みながら朝方まで働く。
今思えばかなりひどい話だ。
でもあの経験があったからこそ、「会社に人生を預けすぎる怖さ」はよくわかった。
もし昔の自分に一言かけるなら、たぶんこう言う。
「もっと早く“自分が働かなくても回る部分”を増やせ」
以上、月382時間働いたITドカタ時代の思い出でした。

